生活保護の再申請、就労指導、不正受給、メンズエステからヤミ金の【〇ぬ男の35日目】

生活保護の再申請、就労指導、不正受給、メンズエステからヤミ金の【〇ぬ男の35日目】

※(↓は1日目~18日目のネタバレにつき視聴、または読む場合は注意して下さい

5分で朗読(自分で読めば2分)

10分口頭

※(↓は1日目~18日目のネタバレにつき視聴、または読む場合は注意して下さい

【1日目】

遂に カネがなくなりました
全財産327円

おばあちゃんに電話しました

着信拒否されていました

きっと親がしたのでしょう

「これは行くしかないな」と思いました

【2日目】

電車賃もないので一昼夜歩きました

ようやく着く

おばあちゃんの家に行きました

おばあちゃんはいませんでした

親もいませんでした

ポストに郵便物が溜まっているので 両方とも長期不在は確定でした

仕方ないので、おばあちゃんの妹の、おばさんのとこを訪ねることにしました

【3日目】

そして実際に訪ねました

しかし、おばさんは不在で、嫁さんに「おばちゃん帰ってきたら電話ください」と、言付けしメモを手渡しました

【4日目】

…が、結局、それから一昼夜 電話は かかってきませんでした

仕方ないから再び訪ねました

警察に通報されたり、塩を撒かれたり、いろいろあり、なんとか おばちゃんから1万円もらいました

その1万を使い、ファン読者の女のとこに行くことにしました

ちなみに私は、これでも一応直木賞作家です

以前は、リーガロイヤルのホテル生活で、大変羽振りのいい生活をしていました

【5日目】

そして行きました

会ったことない女で不安でしたが、来てくれました

そのまま女のマンションに泊まりました

【6日目】

この日も連泊

「もう二度と野宿は嫌だ」そう痛感しました

【7日目】

しかし追い出されました

もう野宿は絶対避けたかった私は、また別の読者の女のとこに行きました

この女は以前何度も会ったことある女です

【8日目】

しかし、そこも追い出されました

女は、私との別れを惜しみ泣いてくれました

私は「もう、おばあちゃんも帰っているだろう」と考え、再び、おばあちゃんのとこに行くことにしました

【9日目】

そして訪ねました

しかし、帰ってませんでした

私は「こうなりゃ、親も弟家族も潰したる!道連れや!」と、やけくそな気持ちになり、バックが暴力団の闇金に電話しました

しかし、振込先を言う時に電話が切れて 闇金が僕の頭からなくなりました

次におじさん思い出し 、訪ねることにしました

【10日目】

そして、おじさんを訪ねました

そこで3000円もらいました

【11目目】

それから再び追い出された女のとこに行きました

あの別れ際に泣いてくれた女です

【12日目】

しかし、また追い出されました

今回は女はキレて、不法侵入で警察を呼ばれました

私は、もうどうしようもないので 首を吊りました

しかし、結局、その日は死ぬことはできませんでした

【13日目】

だけど、どうしても死なないといけません

うつ病だった以前のときみたいに、自殺を選べる状況じゃないのです

再び、トライしました

しかし、やはり、どうしても死ぬことができませんでした

そんな時、親から電話がありました

私は号泣しながら「おばあちゃんのとこに帰らせてぇや」と哀願しました

しかし、鬼畜な親は「とりあえず、そこの市役所へ相談しろ」なのでした

【16日目】

私は仕方ないので市役所に相談に行きました

すると市役所の職員が、親に電話して「私が、そちらに行ってアパートを借りるから そこで生活保護を受けさせてください」言いました

いや、これは職員から聞いた話しだから「言ったらしいです」が正しいでしょう

【17日目】

クソ親が、やってきました

不動産屋に行き、とりあえずアパートを決められました

【18日目】

私は生活保護だけは絶対に受けたくないので、そのアパートで私は今、餓死を待っております

(これで、18日目までの、あらすじは終わりだけど、まだ余白があるから、ついでに私の直木賞作品を貼っときます)

私は、今… わけのわからない、本当に理解不能なアトピーに苦しんでいます。

もちろん、アトピーで苦しむ人は、私以外にも たくさんいると思いますが、

私のような(あり得ない)原因不明のアトピーは、絶対に私一人だけのように思われます。

いくら発症人数の少ない難病だって、十万人に一人とか… 最悪でも百万人に一人とかで、

必ず自分以外にも、同じように苦しむ人がいると思いますが(また、それが安心や慰めに繋がるとも思いますが)

私の場合は、誰もいない… リアルでは もちろんのこと、いくらネットや書籍で、事例を探してみても見当たらないのです。

ゆえに原因も、さらには治癒方法も分かりません。

アトピーの症状も(これは私一人とは言わないものの、それでも)千人に一人くらいのものと思われる、非常に稀で珍しく、さらには酷いものなのです。

(アトピーの原因である)副腎が萎縮でなく、それを越えて損傷した症状とでも言いましょうか…

とにもかくにも、他に事例がないというのは、非常に辛い事実です。

自分のアトピーを誰かに話すと「そんなこと、あり得ないだろう? 頭、大丈夫なの?」とバカにされ、笑われるのが毎度なのです。

だけれど(見方を変えると)それは当然だとも思えます。

だって、いま こうして実際に経験している、超本人の自分でさえ信じられないのですから…

「なんなんだ? これは一体……。なんで、こうなるんだ…」みたいに。

ホントにマジに(と、それらを何個つけても足りないくらい)本当に本当に、わけの分からない原因不明なアトピーなのです。

そして私は、身近な人間に普通に話すのはやめて、こうして不特定多数はYouTubeで話すのを決意しました。

最初に「例え変人扱いされ、バカにされたっていい… もしかしたら、同じ原因で苦しんでいる人がいるかもしれない」

それから「もしかしたら、その原因が解る人間がいるかもしれない。そして、それを教えてもらい俺も普通に暮らしたい」

最後に「そうすれば自分は、今のような綱渡りの生活でなく、心も体も安住に生きられる」と藁にもすがるような思いで…

しかし、今でこそ こんなふうに(あり得ない)理解不能なアトピーに、たった一人 悩み苦しんでおりますが、

以前の私は、もはや「アトピー(自然)治癒のプロフェッショナル」とも呼べる人間でした。

自分自身の身体を使い、身をもって悪化と治癒を繰り返したから、全てのプロセスが実体験により解る。

言うなれば、そのへんのアトピーと見れば、その原因を垣間見ることをしないで、

アホの一つ覚えみたく、ステロイドを出すしか能のない、お偉い先生方とは真逆の人間とでも言いましょうか……

それは遡ること… 私が、15才のとき。

その年齢が、私の今に続く(それからの人生の大半を過ごした)アトピー遍歴の始まりでした。

私の人生は、イコール アトピーと言っても過言じゃないと思います。

いま流行りの、直木賞は小説タイトル風に言うと「ボクとアトピーと、時々 放浪の旅」とでも言いますか…

(今でこそ「マスクもしない」や「〇〇チンは死んでも打たない。強制なら山に逃げる」など、

(99%の賢い大衆から)すっかり おかしな1%の変人に、なり下がってしまいましたけれど)

私も当時は(テレビや世間に)洗脳されていて「いい高校に合格し、それからいい大学、さらにはいい会社に入らないと幸せにはなれない」などと、

現在とは真逆の、本来 幸せには一番遠くなる、キチ〇イみたいなことを、心底から信じ込んでいて、

「国立広大付属高校絶対合格!」を掲げ、死にもの狂いで ひたすら勉強しましたが、

そいつと平行し、不良に目をつけられ、学校が終わるたび、トイレや体育館裏に呼び出されリンチを食らっていました。

いま考えたら単純なことで、そんな状況なら、学校に行かなければいいだけの話しなのですが、

当時…(完膚なきまでに)洗脳されいるバカな私は「学校には絶対に行かないといけない」と信じていて、それでも毎日 登校しました。

言うなれば、毎日ボコボコにされるため行っているようなものです。

ちなみに、その中において、目を革靴の踵で蹴られ、まぶたが切れてしまい、縫ったことがあり、

さすがに、それからはしばらく収まりましたが、間もなく… また、当たり前みたいに再開されました。

学年トップの成績なのに、一匹狼を気取る(浮いた存在の)アウトローが、奴らには腹立たしくて仕方なかったのでしょう。

まぁ、わからないでもありませんが…

奴らには、自分らが見下されているように感じたのかもしれません。

実際にも「バカで頭の悪く、そのうえ群れないと何もできないクズらが…」と見下してました。

私は「広大付属は受験のためにも学校へは行かないといけない」と「もう学校へは行きたくない」

その板挟みの、強烈なストレスから、初めてアトピーを発症しました。

ある朝… 起きると額の生え際から、黄色い汁(体液)が流れるように出てきました。

(正確には、寝ている間に無意識に掻いていて、それまでも既に汁は出ている)

いまなら、それの原因はストレスと一目瞭然… 解るから「学校を行かないことにする」や「くだらない受験勉強なんかしない」を選択し、

ストレスを無くす… もしくは減らし、ストレスで機能が悪くなった(アトピーの原因である)副腎の回復を、

(本来人間が誰しも持っている)自然治癒力で促し治すという、至って単純な治療法で終わるのですが、

やはり、洗脳されきっている当時の私は(この洗脳社会は お約束の)病院へ行き、処方されたステロイドを塗りました。

いや、振り返ると「当たり前に塗ってしまった」と書くのが正しいでしょうか…

言うなれば、興味本意は軽い気持ちで覚醒剤をした「カラスの首輪」の著者とでも言いましょうか by ホスラブ小説全盛期。

すると、これぞ医療の進歩か? はたまた医療の悪魔か?

ステロイドを塗ると、嘘みたく一気に治りました。

あれほどあった激しい痒みも、次から次に流れ出る体液も一気に止まる。

無論、そいつは表面上のみで、内部の副腎は(ステロイドの合成副腎ホルモンにより)さらに機能を低下させ、

アトピー自体は悪化しているのですが、そんなことは知らない私は歓喜し「やっぱりクスリって凄いなぁ」の……。

言うまれば、うつ病で不眠症だった人間が、処方された向精神薬に感動し、それから廃人になる様の如く。

はたまた覚醒剤による…

そして、それから私は、ステロイドが手放せなくなりました。

だんだん塗る量は増えていき、一日でチューブ一本に至るまでは、そう日にちは要しませんでした。

いわゆるステロイド漬けという状態です。

(現在はステロイドを入れた紙袋、さらには それを入れたビニールを手に持つだけでも嫌

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